「まず目的を押さえないか?」 ――学校改革の本質に迫る

千代田区立麹町中学校は、積極的に専門家の外部指導員や大学生を招き入れ、放課後の校内に塾やサークルを立ち上げている。スマホのアプリを開発したり、模擬裁判員裁判を開いたりするなど、本格的な活動だ。また、クエストエデュケーション(企業への模擬インターンシップ)やツアー企画取材旅行、体育祭や文化祭における生徒主体での運営など、さまざまな改革を次々と実践している。さらには、無駄の廃止や効率化、固定担任制から全員担任制への変更など、教職員の働き方にも改革のメスを入れている。

私立学校や塾ではない、公立の中学校なのに、なぜこれだけの改革ができるのか。強烈なリーダーシップで取り組みを進める工藤勇一校長に、その秘訣を伺った。

学校のそもそもの目的がずれてしまっている

なぜ学校の改革ができないのかというと、目的の合意形成ができていないからです。そして、学校のそもそもの目的がずれてしまっている。

もともとの学校の目的は、人が社会の中でよりよく生きていけるようにすることです。人が社会の中で生きていくには、言語活動と経済活動を行います。そのために必要なカリキュラムがあり、それをコントロールするのが学習指導要領になります。ところが明治維新以降、百何十年間もカリキュラムは変わっていないのです。それなのに我々は、カリキュラムをこなし、学習指導要領をこなすことが目的になってしまっている。ここがすごく重要なのです。

学校の機能で注目すべきポイントは、二つしかない。教師の立場から言うと、何を教えて、どう教えるか。子供の立場から言うと、何を学んで、どう学ぶか。カリキュラムと教え方・学び方の問題なのです。

これを考えるにあたって、寺子屋まで戻るとすごく分かりやすい。カリキュラムは、読み書きそろばん。学び方は、書物を一人で読んで、分からなければ人に聞き、学び合いだから先輩が後輩に教える。もともと人間が持っていた学びの方法である、自学と学び合いに戻るということです。

今はICTが進んできているので、それに合わせてカリキュラムを変えればいい。世の中に出たときのビジネススタイルや働き方を、学校で学べればいい。世の中で必要な学び方と知識・技能があればいい。ところがカリキュラムが先行して、これを教えることが目的になってしまっているために、世の中とずれてしまって、日本はいつまでも変わらないということになるのです。

 

手段が目的化してしまっている

現場の切実な問題としては、目的を達成するのが手段なのに、手段が目的化してしまっていることがあります。

全国一斉学力調査をやって子供の意識調査との相関を調べたところ、家庭学習の習慣が付いている子供は学力が高いと出ました。途端に、日本中の教育委員会や学校は、家庭学習をさせろという話になる。家庭学習ノートを作り、毎日宿題を出し、それを親がチェックして、出させる。つまずいたところを繰り返させれば学力は上がるのですが、この手段にこだわりすぎてしまいました。繰り返させられた子供は、自律を失います。自分で繰り返せる子供に育てなければいけないのに、目的が分からなくて「何をやればいいの?」となってしまうのです。

これからの時代は特にロボットやAI、ビッグデータなど、経済構造も大きく変わるので、たぶん今の生徒たちは一つの会社に就職して、一生その会社に勤めることは、まずない。公務員でも、ないかもしれません。そうすると、起業や転職をできる力が必要。なのに、教育だけは百何十年も、忍耐、礼儀、協力ばかりが優先されているのです。

「優先順位はどうだ」。教員に伝えているのは、常にそれです。上位で達成しなければいけないものは何なのかをみんなで合意形成して、優先順位や手段と目的がひっくり返らないようにしよう。そうすると、大事にしなければいけないものは、自律です。自分で考えて、自分で行動できることです。

最上位の目標は、自律して、「世の中まんざらでもない! 大人ってけっこうすてきだ!」と思えるようになること

本当は教員も学校も、自律させなければいけない。自由度を与えなければいけないのですが、現実は真逆の方向に動いている。

対話をして、目的の合意形成を図って、分からなくなったら原点に戻る。改革には、これしかないのです。トップダウンでは絶対にうまくいかない。どれだけ自律型にしていって、当事者みんなを経営に巻き込んでいくかです。

「世の中まんざらでもない! 大人ってけっこうすてきだ!」と思える行動を、私たちはしているか。分からなくなったらここに戻れと言っています。何かにこだわりすぎて、これを否定していないか。うちの学校の教員はこの上位目標に戻れるようになってきているので、改革ができてきています。

赴任から4カ月たった7月の、夏休みになったばかりの時です。全教員を会議室に集めて、「僕もこの学校の課題を4カ月でいろいろためた。君たちからも聞きたい。文句でいいから、この学校の課題を書け」と言いました。そうしたら、50ぐらいしか集まらなかった。私は150ぐらい持っていたので、それを加えて200にして、カテゴリー別に分けて、エクセルに落として、解決の方向性を示して、みんなに返して、これをみんなで解決するぞとやったのです。できるところから、片っ端からやりました。たとえば会議の仕方を変える。意思決定のルートを変える。朝の打ち合わせを1分以内にする。

簡単なことなのです。赤で書いたら、生徒にその日、伝えること。青で書いたら、その日、教員が知らなければいけないこと。それ以外は黒で書いて、書いてあることは話さない。そうすると、書き方が変わります。

宿題も出さず、自律型の勉強に変えていく。ペーパーの学力は、近い将来、役に立たないと言われます。ソフトスキル、非認知スキルを高めることをやっている。非認知スキルを高めると、学力はどんどん勝っていきます。

非認知スキルの「ものさし」が必要

自律した人間を育てるためにはものさしが必要なのですが、教育の世界はもともと、非認知スキルのものさしを持っていない。子供が成長した姿を褒められないのです。我々も自分がなぜ成長したのかを言語化することができないのです。その点は欧米が進んでいて、OECDなども非認知スキルを示しています。

うちの学校はOECDのキー・コンピテンシーを基に、目指す生徒像を八つ作りました。

 

  1. 様々な場面で言葉や技能を使いこなす
  2. 信頼できる知識や情報を収集し、有効に活用する
  3. 感情をコントロールする
  4. 見通しをもって計画的に行動する
  5. ルールを踏まえて建設的に主張する
  6. 他者の立場で物事を考える
  7. 目標を達成するために他者と協働する
  8. 意見の対立や理解の相違を解決する

 

1、2が学力です。3~5が自己コントロール。6~8が他者との関係です。

うちの生徒たちは、意見の対立や理解の相違は普通に起こる、と教えられています。対立が起こると、みんなイライラします。そのイライラをコントロールする力は、経験で身につけていきます。

コントロールしたら、次に、なぜ解決できないのかを考えます。みんなが別々のことを考えているからだとすると、それぞれがどんなふうに考えているかを知らなければなりません。他者の立場で考えるために、各自に主張してもらおうということになります。

目標が合意形成できていないから、みんながそこに向かわない。でも目標の合意形成が図られると、いいことがあると分かっていれば、合意形成を図ったものをやろうとします。その作業をするだけなのです。

うちには、言語化できる子がけっこういます。これらの言葉を何度も使っているからです。感情をコントロールするなんて言葉は、3年生ぐらいになったら誰でも使えます。話し合いしてぶつかると、こういうことを言いますよ。

「いま俺たち、アイデアでぶつかっているけど、一回目的を押さえないか」

 

オープンイノベーションで非認知スキルを高め、雇用をも生み出す

学力調査という軸があります。ここに教育産業が群がっている。その一方で、世の中に必要な軸がある。ソフトスキル、非認知スキルです。今うちの学校がやっているのは、非認知スキルを高めるために、教育産業をも巻き込んで、オープンイノベーション的に企業をいっぱい入れることです。これをもっとスムーズに起こすために、考えていることがあります。

学校の施設を、学校が使わない。学校も使わせてもらう。カリキュラムを変えて、昼頃までに終えます。その後の2時間ぐらいで、クエストエデュケーションやツアー企画など、民間企業を入れた教育活動を行います。さらに、14時から22時まで、8時間あります。この時間を全部、民間企業に施設を貸し出してしまって、家賃を取って、カルチャースクールを入れまくる。子供たちの放課後の学びも、プロに学ばせる。22時までなら、区民・市民もみんな使えます。土日も含めて、日本中にある立派な校舎をお金儲けの場所として利用するのです。当然、みんなが使うのだから冷暖房が入るし、体育館にも冷房が入る。施設改修にも使えるでしょう。

8時間あるということは、雇用が生まれます。アルバイトで来る人もいますが、正規の職員も生まれる。社会と学校がシームレスになるので、民間の方々も働けます。公務員の副業制度を使えば、部活動の指導をやりたい教員は副業としてお金をきちんともらえる。社会体育に変えられます。

これは、首長と教育長が協力すればできます。こんなことをやっていけるといいのではないかと考えているのです。