ゼロからイチにすることの大変さと大切さ ――特別企画:ゼロプラMeetUP!×ユーグレナ(前編)

image_print

毎週水曜日に議員会館会議室で定例会を開いているゼロプラMeetUPですが、2月6日(水)は特別企画として、株式会社ユーグレナのバイオ燃料製造実証プラントを見学しに行きました。そこで古川元久衆議院議員と出雲充社長の対談も行われました。

雨が降り底冷えするなか、横浜市鶴見区にあるバイオ燃料製造実証プラントに到着です。

プラント内のセーフティーガイダンスを受けた後、出雲社長から「古川先生にお越しいただいているので、かなり本格的な資料を用意しました」と、熱のこもったプレゼンテーションがありました。

日本はバイオ燃料後進国

出雲社長は「日本は世界中から環境先進国だと思われているし、日本人自身も環境先進国だと思っているが、それは半分合っていて半分間違っている」と言います。日本は省エネ技術では世界一ですが、バイオ燃料については「後進国」なのです。

具体的に見ると、日本ではバイオ燃料(バイオガソリン、バイオディーゼル、バイオジェット)を2017年には83万トン使用しています。EUは約2000万トン、アメリカは約6300万トンです。現時点でもこれだけ差がついているのにもかかわらず、2020年になると日本は増産の計画がないのに対し、EUは約3000万トン、アメリカにいたっては1億3600万トンもの増産を目指しているそうです。

バイオ燃料のなかでも、バイオジェット燃料はもっと悲惨な状況です。2011年以降、世界ではすでにバイオジェット燃料を使用して飛んだ有償フライトが15万回を超えているのに対し、日本は、ゼロ。たとえば温室効果ガスの問題では2030年までに2013年対比26%のCO2削減が政府目標になっているのに、日本はバイオジェット燃料促進の施策もないし、規制もありません。規制も強制もないと、誰もやらないのです。

国産バイオ燃料の意義

よく知られているとおり、日本は石油の99%以上を輸入に依存し、とりわけ85%以上を中東に依存しています。エネルギー自給率はわずか7%です。不安定な中東情勢と中国による海洋覇権の拡大があり、ホルムズ海峡と南シナ海がチョークポイントになってきている状況で、どちらか一方が封鎖されるだけでも非常に大きな影響が出ます。日本のエネルギー安全保障の観点からも、「燃料源の多角化は必須であり、国産のバイオ燃料が強靱な国家をつくるのに非常に重要になってくる」と出雲社長は指摘します。

そこで株式会社ユーグレナでは、2015年12月1日、1市5社とのパートナーシップ締結により、バイオジェット燃料で飛行機を飛ばすことと、バイオディーゼル燃料による公道走行を実現することの二つからなる「国産バイオ燃料計画」を発表しました。2018年11月2日には国連のSDGsにおける「目標13:気候変動に具体的な対策を」の目標達成に貢献すべく、「GREEN OIL JAPAN」を宣言し、2025年までに日本を「バイオ燃料先進国」にするという目標を掲げています。

まずはゼロをイチに

2025年までのロードマップにおいて、「まず2020年に、ゼロをイチにする」と出雲社長は言います。すなわち、車・船・飛行機のすべてを、国産バイオ燃料で動かす実績をつくるのです。それができれば、ミドリムシで飛行機が墜落するなどと言う人はいなくなるので一気に拡大していき、2025年には25万トンをつくる。ここまでくれば他の会社でもつくるようになると、出雲社長は見通しています。

ただ、技術的には問題ないものの、導入・普及のためにはコストをはじめとしてさまざまな課題があると言います。その課題解決のために力を貸してほしいとのお願いをもって、出雲社長はプレゼンテーションをまとめました。

古川議員は問題点の指摘と現実的な方策についてコメントし、ぜひみんなで普及のためにやっていこうという話がありました。

バイオ燃料の重要性と将来性について考えさせられたところで、森山宏一郎工場長からプラントの概要やプロセスの概略について説明があり、続いて見学に出ました。

プロセスのフローに従って、施設を回っていきます。屋外の施設見学はあいにくの天候ではありましたが、用役設備内に入ると、まだできたてという感じの匂いが漂っていて、新しいエネルギーを生産する設備なんだなと実感しました。

出荷場までひととおり順を追って見学を終え、再度事務棟の会議室に戻ります。古川元久衆議院議員と出雲充社長の対談です(内容は後編で)。元日立研究所研究員の経歴を持つ浅野哲衆議院議員も質問するなど広汎な話題が上るなか、示唆に富んだお話を伺えました。

対談が終わると予定の時間をはるかに超えていましたが、それをまったく感じさせない、充実した時間となりました。ゼロから新しいことに取り組む大変さを改めて思い、それを実現した出雲社長の情熱と行動力、そして仲間の方々やオープンイノベーションの力を垣間見ることができた企画となりました。

Scroll to top