江戸社会と第四次産業革命を掛け合わせた理想の社会モデル~超江戸社会

ZEROプラトン主催の「ゼロプラMeetUP!第10回」が1月30日、衆議院第1議員会館で開催された。
今回はディー・フォー・ディー・アール株式会社(D4DR)の藤元健太郎社長を講師に「超江戸社会―テクノロジーがもたらす懐かしい未来―」をテーマにした講演をお届けする。

ポスト平成を考えた時に次ぎに来るのは「現代テクノロジー×過去社会モデル」。この社会モデルが導くのは「江戸時代すでに行われていたより良き未来像」そんな仮定から生み出されるのは、生産性が高く安心・安全な社会が実現できる「超江戸社会」という新モデル。この新しい社会の在り方について藤元氏に解説していただいた。


現代は中世化している?

「超江戸社会―テクノロジーがもたらす懐かしい未来―」というテーマを掲げているのですが、これには分かりやすいグランドデザインが必要です。
「シンギュラリティ」と言っても、おじいちゃんやおばあちゃんたちは困ってしまう。もう少し分かりやすいメッセージが大事ということで、この話をしています。

私はもともと野村総合研究所で、ITビジネスやスタートアップとの取り組み、国の委員などの活動もしています。おそらく日本で初めて大企業を集めてインターネット上のオープンイノベーションをやったのは私で、異業種を集めて1995年ぐらいから取り組んできました。
この取り組みの中で、現代が中世化しているということを感じていました。

第一次産業革命 蒸気機関
第二次産業革命 電気エネルギー
第三次産業革命 情報処理
第四次産業革命 IoT、AI、VR、ロボティクス

現代は第四次産業革命の時代。第三次では工業化社会から、情報化社会になったと言いますが、それは工業化をより進めるための情報化でした。第四次は工業化社会のためではない情報化のことです。
その時にふと思ったのは、第一次産業革命以前は中世であったことです。これが「超江戸社会」のヒントになりました。

誰もが貴族になる社会

ローマ法王謁見の写真を見てください。2005年と2013年の違いは、そうスマホです。

(藤元氏スライドを提示:2005年の画像はただの人だかり、2013年は多くの人がスマホを前に向けている)

これと同じように1900年のニューヨーク(写真左)では馬車ばかりであったのが、たった13年後(写真右)にはクルマばかりになりました。

現代と同じようなことが工業化社会の始まりのときに起きていたのです。

我々は工業化社会で劇的に変わったときに、いろいろなものを捨ててきました。
有名なT型フォードですが、大量規格生産によるスケールメリットと生産性の向上、それを支えるピラミッド型組織がつくられました。これにより工場労働者の賃金はどんどん上昇し、がんばって働けばT型フォードを買えるようになったのです。働く結果、自分も豊かになるという、工業化社会のメカニズムがつくられました。

一方、工業化の弊害として、人は朝から晩まで工場で働くことが美徳になりました。それ以前のクルマは、職人が自由に作っていたのです。職人に、彼らが中心のネットワーク組織を捨てさせたのがT型フォードでした。

ところが、現在起こっている第四次産業革命では、職人と貴族の関係に戻っているのです。
アメリカのクルマを自分たちで作るサイトでは、ラリーファイターという名前で、ラリー好きの職人と貴族たちが集まり、クルマをつくっています。
そして、また別の話ですが、自動運転車のデザインは、まさに馬車のようです。

そう、貴族は自分では運転しなかった。つまり、これから貴族のような生活を、一般の人たちも享受できるのです。自動車の概念そのものが変わり、我々は運転しなければいけない鉄の塊から解放されるのです。

音楽も同じ。秋元康はCDが工業製品ではないと定義し直しました。握手券や投票券などの権利に変えた。だから選挙が終わると工業製品に過ぎないCDは捨てられます。
これも中世と同じで、音楽の楽しみ方が工業製品(CD)からサービス自体に戻り、芸人のパトロンになって楽しむという中世の貴族の行為を、今は庶民の我々がしているのです。

「江戸」で実現していた先進社会

では、日本のヒントはどうかというと、「江戸」です。
現代の日本の幸福度ランキングは54位。暴動が起きまくっているフランスですら23位なのに、です。経済的豊かさと平和があり、成熟化した社会を迎えた日本なのに、国民は幸福の実感を持てない。
一方で、150年前に幸せを感じていた江戸の町人たちがいたことを、もう一回思い出したほうがいい。これが「超江戸社会」の大きなコンセプトの一つです。

今Uber Eatsがはやっていますが、江戸の棒手振り(移動販売、振り売り)はUber Eatsですよね。彼らが惣菜や魚を運ぶので、長屋ではご飯とお味噌汁だけ作って待っていました。天ぷらや寿司は屋台のPop-upストアで、ファストフード。欧州の貴族がフレンチとか言っている時に、江戸の庶民は高い文化レベルでこれらを楽しんでいました。

経済的に考えると、人気の棒手振りは、毎日働けば月45万円ぐらい稼げました。だいたい蕎麦1杯が400円、長屋の家賃が7500円から1万円ぐらいの時代です。ただ、棒手振りはそんなに働かない。月に7~8日だけ働いて「10万円でまあいいか」「別に朝から晩まで働かなくていいじゃないか」という考えです。

今のシェアリングエコノミーやベーシックインカムは、まさに江戸時代に棒手振りが働いていたライフスタイル。今後、空き家が増え、家賃が下がれば可能で、そうとう楽しく生きていけると思います。

江戸では、“し尿”もちゃんと運んで売ります。100万都市江戸の周りでは野菜を作っていて、肥料が欲しい。家賃が安い理由の一つは、大家さんがし尿の販売権を持っていたことで、このシステムがリサイクルを進めていました。同時代のパリは、街中汚く、ネズミが菌をばらまいてペストが発生していました。

婚姻に関しては、江戸では男女比率が3:1です。地方からの労働力や、参勤交代などで、どうしても男が多く、江戸では一対一の婚姻が成立しづらい。このため、庶民にはあまり結婚しようという意識が働きませんでした。商家や武家は当然“家”のために結婚するのですが、恋愛は別。たとえば5人の男が1人の女性をシェアする安囲いという仕組みもあったそうです。
子供は基本的に誰がお父さんか分からないので、社会が子供を育てます。

フランスで有名な「シラク3原則」がフランスの出生率を高めました。フランスように婚姻と関係なく、女性が出産できるモデルを作らないと、絶対に少子化対策は進みません。国としてはシングルマザーを支援する方向ですが、思い切って別に結婚しなくてもいいという社会にするべきなのかなと思います。

このように100万都市だった当時の江戸は豊かでしたが、これは貧しい農村に支えられていました。この時代には残念ながら楽しい暮らしを享受できたのは一部の人たちでした。
しかし、第四次産業革命後の今は豊かな100万都市の江戸や、中世のヨーロッパの貴族のモデルを全員に適用できるかもしれません。

グランドデザインを「江戸」から

さて、「江戸社会」の暮らしができなくなったのは、明治政府のつくった仕組みのせいです。
明治政府は、武士の儒教思想をそのまま官僚や庶民に持ち込みました。労働力と軍事力を大量に生産するため、国民の教育や労働力の水準を一律にしたかったのです。町人は人生を楽しむことを忘れさせられました。

そして、この「植民地になりたくないいなら、がんばって働いて、みんな強い兵隊になろう」という施策が日本人に非常に上手くはまったのです。
しかし、そもそも武士の仕組みというのは、戦国の終わりに不要となった職業をなんとか維持するものでした。これを適用してしまったので、町人的な思想がすっぽり抜け落ちました。
第二次世界大戦に負けた後、欧米的な思想がそこに重なって、ますます我々は、「まじめで」「侍で」「伝統で」となっていきましたが、私は「それ、違いますよ」と言いたいのです。

江戸時代の大衆と、明治以降の日本という比較をすると、このような違いがあります。

働き方改革だとか、ブラックだとか言っているのも、全部起因はここではないか。そういう意味で、明治以降の日本型モデルそのものを捨てなければならないんです。中途半端な政策を打っても、まったく意味がないのです。江戸時代の考え方を前提に、政策立案する必要があると感じます。

第四次産業革命のテクノロジーが、この「超江戸社会」という生産性が高く、安心・安全な世界を実現します。
明治維新以来のキャッチアップ戦略が終了し、次に目指す姿が見えない閉塞感の中で課題解決だけをしてよいのでしょうか。やはり新しいグランドデザインのもとに、社会システム構築のための政策立案をするべきだと思います。

ということで、超江戸社会というのは「工業化社会の先にあるテクノロジーがもたらす懐かしい未来」という定義すれば、国民にも理解しやすい、分かりやすい未来像を描けるのではないでしょうか。
シンギュラリティと言っても、みんなに「なんだそれ」と言われてしまうので、言うべきことは、こういったメッセージで発信し「コンセンサスを社会としてつくっていく活動をぜひやりませんか」というのが私の提言になります。


講演後のディスカッションは、AI奴隷説から、相続、公の概念、シェアリングエコノミー、住民税、年金、メディア、果ては江戸モデルと外国人まで、広汎な話題で自由に話し合われた。藤元氏は、いずれもテクノロジーで可能になることが多いとしたうえで、新しい公共概念の醸成のために、子供メンター制度の導入を提唱した。中高生が自分の住んでいる地域の小学生のメンターになって、自分たち自身がやらなければと思う意識を植え付けていくとよいという。

様々なディスカッションが行われた中でも、最後には「すてきな日本を楽しもう」と未来を明るく捉える展望が開けた会となった。