インターネットの思想が下支えし、オープンデータが可能にする、新たなる参加型民主主義。その思想とは、そして分かるようで意外とよく分からない、「オープンデータ」とは何なのか。第4回のゼロプラMeetUPでは、ポスト平成の政治参加の在り方と変わりつつある市民の政治参加について、オープンデータ伝道師でもある国際大学GLOCOMの庄司昌彦准教授に聞いた。
「オープンデータ」は「公開数値」ではなく「開放資料」
庄司:オープンデータとは、数値の統計データからさまざまな文書や画像、映像なども含めた「資料」を、単に公開するだけにとどまらず、誰もが、いかなる目的でも自由に使用・編集・共有できるように、使いやすい素材としてどんどん開放していく「開放資料」のことを意味します。
目的はいろいろあります。透明性・信頼性の向上によって、民主主義の質を高めること。課題をみんなで解決していく、国民参加・官民協働に資すること。もちろん、ビジネスを生み出していく、経済的なこともあります。2011年の東日本大震災でいろいろなデータが足りなかった、データが使えなかったという失敗とその反省から、ここ数年の動きがあります。公開可能な情報の中から使えるものを増やしていくなかで、行政データをもっとうまく使っていこうというだけでなく、Wikipediaのような市民が作るデータも成熟し、企業も使ってほしい情報や広めたい情報を使いやすい形式で、使いやすい利用条件で配布するようになってきています。2016年には、超党派の議員立法で官民データ活用推進基本法ができました。最近はオープンデータ官民ラウンドテーブルで、データ活用を希望する民間企業とデータを保有する府省庁が直接対話し、有識者が助言をしたり知恵を出したりすることも行われています。
EBPMに寄与するデータ
今までは行政が作ったデータを、民間がアプリを作ったりサービスに利用したりする話が多かったのですが、エビデンスに基づく政策形成(EBPM=Evidence-based policy making)の関連でも、別の行政機関が行政オープンデータを活用したり、民間の知見が行政機関に戻ってきたりするといったことも起きてきています。
たとえば、街路灯がどこにあるのかというデータを使って、どこが暗い道なのかを民間の人が可視化したり、厚生労働省が公開しているレセプト情報・特定健診等情報データベースを医療系のメディアがこぞって分析したり、紙の広報誌を電子化することにより、どのタイミングでどの記事がどんな人に読まれているのかが分かったりするようになっています。また、地域の数百メートルメッシュの単位で高齢化率や人口がどう変動していくのかを予測モデルで表現して、将来のことを考えようというツールも出てきています。
伽藍よりもバザールで
「伽藍とバザール」という、オープンソースソフトウエアの開発方式に関する有名な論文があります。教会は最初からきちんと設計しないと建ちませんが、バザールは自然発生的に成長していくアーキテクチャです。オープンソースのソフトウエアは、最初から全部設計して作っていく従来型の開発方式ではなく、バザールのごとく、完成度が低くてもオープンにして、コミュニケーションをしながら改善して作っていくことで発展してきました。この考え方がITの世界を支える有力な思想になっています。
インターネット技術の標準化団体でも、「ラフコンセンサスとランニングコード」という言い方で、大まかな方向性の合意の下、早く実際に動くものを作ることを重視しています。つまり、日本的な完璧さ、高品質、計画性、予測可能性ということの対極の思想を、インターネットは持っています。
データの力を発揮させるために
ヒト、モノ、カネ、情報という経営資源の考え方があります。情報は、持っていれば権力やビジネスのうえで優位性の源泉になりますが、一方で、情報を与えて、オープンにして、共有したことによって、Wikipediaがどんどん成長し、オープンソースのソフトウエアがどんどんよくなっています。日本ではヒト、モノ、カネは減る、高齢化する、古くなるなど、縮小傾向ですが、情報・データはすでにたくさんあるし、作ろうと思えばどんどんコピーしていくこともできるし、センサーから生成することもできます。これからの縮小社会にとって、重要な資源と位置づけられるのではないでしょうか。
そして、データは囲っておいても、何も生み出さない。どんどん使って、組み合わせて、掛け合わせることによって、力を発揮します。そこで、資源としてのデータとオープンの力を掛け合わせようということになります。たとえば都市にはいろいろなデータがあります。市民活動にしろ企業活動にしろ、素材としてのデータが自由に使える状態で満ちていれば、いろいろなことが起こってくる。私は都市データの「濃度」という言い方をしています。さまざまなレベルで濃度を高めていくことが重要だと思います。GAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)がデータを握ってけしからんという話がありますが、個人に関するデータは彼らがたくさん握っているものの、GAFAが持ってないデータはいくらでもあります。地域レベルで言えば、地域に密着した企業が持っています。たとえば私鉄は、ある地域で電車もバスもタクシーもスーパーも不動産も広告もやって、地域に関するデータをいっぱい持っています。そこに自治体のデータや国のデータを組み合わせていくことで、新しいことができる可能性があります。
小さいチャレンジを次々と
参加型民主主義も変わってきています。まず、国民が議員に声を届け、議員が政府で活動する参加型民主主義があります。その後、ジャスミン革命や反原発デモのように、国民が群れを作って、直接、力を行使する参加型民主主義が出てきました。ところが、冷めてしまっている人がけっこういます。そういう人たちがやっているのは、誰かにやってもらうとか政府に力を行使するとかではなく、自分たちで、仲間と一緒に、手の届く小さい範囲で課題を解決していく、助け合っていく。シビックテックと言われる参加型民主主義です。
その先進事例として紹介したいのが、福島県会津若松市です。市役所も非常にIT導入に積極的です。日本初のコンピュータ専門大学である会津大学もあり、そこから出てきた大学発ベンチャーも集積しています。課題を持ち寄って話し合ったり勉強会をしたりする集まりがあって、そこに市役所の人も、議員さんも議会の議長さんも、大学も、起業家も、エンジニアもいる。どんどん話を進めて、実験的なプロジェクトが次々生まれる。そのサイクルが非常に早く回っているので、東京の大企業なども、課題を会津に持ち込むことが起こっています。
大切なのは、次々と小さいチャレンジが生まれることです。会津はまさにそうです。今は無料や非常に安い値段で使える環境があり、ソーシャルメディアのプラットフォームでグループ活動がしやすくなっています。お金が必要になってくればクラウドファンディング。イベントのページもすぐ立ち上げることができます。そしてその活動が大きくなっていったら、クラウドのサービスの契約をちょっと大きくすればいい。活動を増幅する機能もソーシャルメディアやプラットフォームサービスは持っています。こうした小さなチャレンジやそこから生まれた活動を支えていくためにも、使えるデータがたくさんあることが大事です。
自分たちでどんどん作っていこう。誰かに声を届けて終わりではなく、自分たちでどんどん現実を変えていきたいと考え、実際できるので、できることからやっていく。この動きが、昨今のITコミュニティのマインドです。政治も、ものを作れる人たちと一緒に手を動かしていくことが大事なのではないか。そのときに必要になるいろいろなデータの供給は、ぜひ行政や公的機関に求めたいと思います。
講演後、日本と諸外国とのオープン化の違いや、各自治体での取り組み具合の違いなどが話し合われた。他国では行政だけでなく司法も立法機関もデータのオープン化が進み、たとえばイギリスではオンラインで公開されている国会の議事録を使って、議員ごとにどこでどのような発言をしたかを集約できるサイト(TheyWorkForYou)がある。日本の遅れを改めて感じたという意見や感想が多く出た。また、生活に密着したデータを持っている自治体の取り組みが問題だが、都道府県別市区町村オープンデータ取組率では、100%の福井県から0%の高知県まで、極端に差がついてしまっているというデータも示された。
庄司准教授は、行政はアプリなどを作るよりも素材を提供することに徹したほうがよいこと、データを出す側の行政とデータを使う側のエンジニアをつなぐ橋渡し役の必要性などを語った。また、政党のシンクタンクについて、シビックテックの人たちや自分たちで解決策を作っていけるような人たちなど、さまざまな人たちと組んで日本なりのモデルを作っていってほしいとの期待をもって、話をまとめた。