衆知を集め次の時代を照らす政策シンクタンク

小選挙区制というチャレンジ

――平成があと半年となりました。古川さんは、平成元年はいかがされていましたか。

古川:昭和の最後に社会人になって、社会人2年目でした。

――政治家になられたのはいつですか。

古川:初めて当選したのは平成6年です。議員になってから22年がたちました。

――その間、いろいろなイノベーションがあったと思います。平成期の政治家として、選挙のイノベーションはどのようなものがあったでしょうか。

古川:中選挙区制を小選挙区制に変えるという、大きなチャレンジがありました。

世界の中で政権交代のない国は中国と北朝鮮ぐらいで、55年体制の日本も同じだと言われていた。そこに政権交代のある政治体制を作る動きが出て選挙制度改革につながり、今の小選挙区制が導入された。そのことによって二大政党制に進んでいき、一度は政権交代が起きました。
しかしもう一度政権交代が起きて自民党に政権が戻り、野党はバラバラになってしまった。選挙制度改革を通じた試みの中で、また大きな変化の時期が来ているのではないでしょうか。

昭和的政党からの脱却へ

――政党自体も平成期にイノベーションがあったとお考えですか。

古川:政党は、平成になってもあまり変わっていなかったと思います。
民主党の反省で言うと、自民党に替わる政権政党になろうとして、実は自民党と同じようなモデルを目指していました。結果からすると、そのことがうまくいかなかった大きな理由の一つではないでしょうか。自民党のような昭和型のモデルで出来上がってきた政党に対し、シリコンバレーで生まれてきたベンチャー企業のような、まったく新しいスタイルを目指せば、状況は変わったのかもしれません。従来の政党のかたちに引っ張られてしまった平成の政党の、私自身の反省でもあります。

――今までの昭和的政党ではなくて、新しい取り組みもやられましたよね。

古川:昭和の自民党長期政権の下では、政策立案能力があるのは自民党だけ。しかも、政策立案をサポートするのは官僚。それに対して政権を目指すには、政権担当能力、政策立案能力を持たなければいけない。

そのために、一つは、優秀な候補者を引っ張ってくる。もう一つは、独立シンクタンクを作って、政策を立案できる能力や人材をストックし、ネットワークしていく、という取り組みをしました。そういう努力があって、具体的な政策を提示することができた。どちらの政策がいいかを競うマニフェスト選挙を仕掛けることができたのは、そういう背景がありました。

シンクタンク「プラトン」

――民主党自体がネットワーク政党だという言い方もしていたと思いますが、それでさらにシンクタンクを作っていったのは、どういった経緯だったのですか。

古川:最初に鳩山、菅で党を作ったときには本当にベンチャー型で、ネットワーク政党で行こうとしていたのです。その発想の流れの中で、政権担当能力があることを見せようと考えたのが、霞が関に代わるシンクタンクを作ることにつながったのです。

最初はとにかく外の人たちとつながって、霞が関に代わる頭脳を求めようという発想がありました。その後、「プラトン」と言われる、有限責任中間法人公共政策プラットフォームを2005年に設立しました。

新橋に事務所を置いて、年金や歴史の勉強会など、いくつかのプログラムがありました。BBL(Brown Bag Lunch Lecture)という、議員だけでなくて、一般の人も含めた参加者がランチを持ってきて、それを食べながら講師の人が話をしてディスカッションをするシリーズもやっていました。これは400回以上やっています。演出家や、経済や政治の学者も来ました。ジャーナリストもいれば、芸術家みたいな人もいました。

――党の方針や政策とは、どういう関係なのですか。

古川:党がお金を出していましたが、運営は有限責任中間法人でやっていました。中心になっていたのが鈴木寛さんと松井孝治さん。後は仙谷さん、私なども関わって、面白そうな人たちに順次声を掛けて呼んでいました。

議員をはじめとする皆さんの知識を増やしていくことにもなったし、参加をきっかけに、ブレーンとして党のパートナーになっていただいた人も何人もいます。我々が政権を目指していくうえで、政策作りのいろいろなアイデアを提供してくれました。

ただ、そこから糾合するなかで、どちらかというと自民党と同じようなかたちの政党の方向に向いていってしまった。ネットワークで行こうとしていた最初のころと違い、いわばM&Aをして大きくなっていくなかで、齟齬が出てきた部分はあったのかなとみています。

オープンに衆知を集める

――ポスト平成ということで言うと、政党の在り方や選挙の在り方は、どういう感じになってくると思いますか。

古川:時代に合ったかたちで変えていかなければいけないし、変わりつつあるし、変わっていくのではないでしょうか。

特に、日本だけではなくて全世界的にも、既成の政党に対する不信感は非常に強い。今や、政党は民意を反映しているとは、あまり思われていません。ともすると一部の声の大きい人や団体に影響されやすく、どんどん民意から離れていっています。

松下幸之助さんが、衆知を集めることの大切さを説いています。かつては自分のリーチできるところが限られていてそれを実現することが非常に難しかった。けれども、今はオープンに、世界中にリーチできる。第四次産業革命と言われているような技術革新の変化と、社会そのものの変化をいち早く取り入れられる政党が、ポスト平成のなかで支持を得られるようになるのではないでしょうか。

――POLITECH(ポリテック)によって、より衆知を集めやすくなっていますね。プログラミングでも、今は1社で開発するのではなくて、オープンハブでいろいろなところの知恵を得て、オープンソースで公開しているところでいろいろなプログラマーが入ってきて、いいコードができていく。そういう仕組みは、なんで政治の世界にないのでしょうか。

古川:従来の政治は、慣性の法則が働くところがある。国会なんかまさにほとんど慣性の法則で動いていて、その慣例を破るのが非常に難しい。その流れで、時代の変化にキャッチアップできていない。

――たとえばオープンソースで、よりよい法律を作ろうという仕組みは作れないのでしょうか。

古川:私は作れると思います。それこそクラウドファンディングと同じように、法律に対して賛同を募って要件を満たしたら法案化するなど、いろいろな立法の仕方が考えられます。

ポスト平成を照らすシンクタンク

――あと、今回、党と離れたかたちで、独立したシンクタンクを活用するということですが、どうしてそういうものが必要なのでしょうか。

古川:これまで日本最大で最強のシンクタンクと言われていた霞が関の劣化が、極めて深刻になってきています。これだけ大きな変革の時代に合ったような政策を立案していくのには、どんなに優秀であっても、ごく一部の限られた情報と閉ざされた世界の中ではなく、幅広いところから衆知を集められるプラットフォームが必要です。

我々がもう一度政権を担っていくためにも、かつてプラトンを作ったとき以上に、外部のネットワークや知恵を集められる装置が求められています。テクノロジーの進歩によって、かつてよりももっとレベルの高い政策をオープンイノベーションで作り上げていける素地はできていると思います。

――一般国民にとって、プラットフォームとしてのシンクタンクの利用価値はあるのでしょうか。たとえば、保育園を作ってほしいと思っていても、どうしたらできるのか分からない。それをシンクタンクで政策のレベルまで昇華させることはできそうですか。

古川:できると思います。抽象的なニーズだと実現までのハードルは高いのですが、まさにオープンイノベーションで衆知を集め、オンラインで議論を行い、具体化することによって、政策のレベルまで引き上げていくことが可能になります。

新たなシンクタンクでは、議論をまとめていくファシリテーターが大事になってきます。民主主義というのも、一人一人の小さな声を大きな声にまとめていくことだと思うのです。それをサポートしていく大きな手段にもなるのではないでしょうか。

――オープンイノベーションが楽しみになってきますね。

古川:それこそクリントン政権でゴアが情報スーパーハイウェイ構想を打ち出したのが1993年頃からです。25年たって、ようやくあの時のことがインフラとして具体的に整ってきました。
それを使って、新しい社会をどう描くのか。ポスト平成というのは、あらゆるものの新しいかたちが見えてくる時代になるのではないか。また、そういう時代にしなければならない。
この新しいシンクタンクは、ポスト平成の新しい社会像や政治の姿、経済の姿を指し示していく、灯台の明かりをともしていければいいと思います。

――ハブになっていくという感じですね。ありがとうございました。