チルアウトする場としてのバーを目指して

銀座の片隅にある「BARアイラ島銀座」は、昭和通りを歌舞伎座から宝町へ向かう途中に位置する、わずか14席のショットバーだ。ウイスキー好きであれば、店名を聞くと、スコットランドの小さな島「アイラ島」でつくられるウイスキー「アイラモルト」をすぐに想起するだろう。

 

その店の業態はちょっとユニークで、昼はコーヒー豆を自家焙煎するカフェ「舘田珈琲焙煎所」、夕方からはバーに変わる。そして舘田自身も、昼はIT・マーケティング関連のコンサルティングを手掛け、夜はバーのマスターになる。本人も店舗も二毛作なのである。

 

きっかけは会社の先輩

「お酒の前にまず、バーという空間にはまった」と舘田は語る。就職してすぐに、年上の同期に渋谷のオーセンティックバーに連れていかれた。そこからバーの魅力にひきこまれ、一人で通い始めるようになる。多い時は週5日、開店の18時から入り、バー飯(メシ)を食べ、そのまま深夜の閉店まで飲み続けていたという。

 

舘田にとってバーとは、お酒、音楽、人、照明など、好きなものがすべて凝縮された至福の空間だ。通い続けるうちに自然と酒の知識と経験が蓄積され、20代の前半にはバーを開きたいと考えるようになる。バーテンダースクールに通い、昼は会社に勤めて夜はバーで働くという時期もあった。

 

会社員時代には数々の新規事業を手掛けており、そのとき「起業の疑似体験をしていた」と振り返る。バーを開業するという「起業」のイメージもしやすかった。しかし、好きな酒を仕入れたい、おいしくお酒がのめる特別なグラスを使いたい、内装にこだわりたい。それらをすべて実現しようとすると、20代では資金的な面で難しかった。また、余裕のない若い時期にバーをスタートさせると生活のためだけに営業することになり、実現できることが制限されてしまうのが嫌だったという。

 

自分の好きなスタイルのバーを作り、それに惚れ込んだ人が来てくれる。たとえ1カ月間お客さんが一人も来なくても資金的に大丈夫、いつかそんな状態になったら開店しようと考えながら、IT業界で仕事に没頭する日々を送っていた。

 

時は過ぎ、40代を迎えた2015年、帰省した地元の青森で今までに飲んだことのないおいしいスペシャルティコーヒーに出会い、また、同じ時期に出張先の京都で全自動の焙煎機と出会ったことがきっかけで、突然、コーヒーのビジネスをスタートさせる。コンサルティングの仕事も続けながら、新富町の路地裏でコーヒー豆を販売するお店をオープンした。店舗はもともと飲食店の居抜きだったこともあり、周辺客からの要望で週1日だけのカフェ営業も始めた。2013年から毎年スコットランドに赴いて酒を買い集めていた舘田は、その場所で知人を中心に予約された日限定でバーも開くようになる。最近、起業家や会社員がポップアップでバーやスナックをするのがはやっているが、そのはしりといえるだろう。そこで「やっぱりバーは面白い」と確信する。

 

コーヒー豆の店を開いて1年も経たないうちに、「東銀座にいい物件が出たけど興味はあるか」という紹介が舘田の元に舞い込む。大通りに面した1Fの路面店でアクセスもいい。しかし、店を開いてまだ間もないし、新しい物件はスケルトンで内装費用も嵩みそうだった。もし移転するとなると資金的にも大きな冒険となるだろう。

 

もともと「いつかバーをやりたい」の「いつか」は50代くらいを想定していた。しかし、40代に入り、仲のいい知人や友人が病に伏したり、亡くなったりする場面にも直面するようになって考えは変わり始めていた。50代になってからでは来てほしい人が来られなくなるかもしれない、と危機感を持った舘田は、即座にお店の移転を決心する。そして、効率的にビジネスを立ち上げるため、昼のコーヒーと夜のバーという、二毛作で新たにスタートさせた。

 

バーのハードルを下げ、バー文化の存続へ

バーには日々さまざまな人が訪れる。その様子を舘田は「映画を観ているようだ」と表現する。記念日で訪れたり、偶然立ち寄ったり、検索してわざわざ目指して来たりする。客はカウンターの向こうに舘田がいることはわかっているが、まるでいないかのように話している。予想の付かないドラマ模様が展開されるスクリーンをたった一人で観ている客席のようで、全然飽きないという。

 

そんななか、舘田は自らが愛するバー文化の衰退兆候について危機感を持っている。自分がバーの扉を初めて開いた20年前は、先輩や上司が後輩や部下をバーに連れていき、若手はそれでお酒の飲み方やバーという空間を覚えていった。しかし今では、会社の人と飲みに行かないことも珍しくはなくなった。人づてで受け継がれ、上下世代の間に介在してきたバーの存在感が薄まりつつあるのではないかと危惧しているのだ。

 

老舗のバーで長らく修行してから開店するという通常の流れを経ずにバーテンダーになった舘田は、旧来とは異なる方向性とアプローチで、バー文化を守っていきたいと語る。

 

ひとつは「バーの敷居を下げる」こと。

 

バーに慣れている人は、躊躇せずにお酒を頼む。しかしあまり来たことがない人は、そもそもどう頼んでよいかわからない。初心者にお酒の蘊蓄を語ってもかえって敷居を上げてしまう可能性がある。そこで、舘田はなるべく平易な表現を使ったお酒の説明を試みている。

 

例えば、スコッチウイスキーは通常、別のお酒が作られた樽を再利用して熟成されている。「バーボンが作られていた樽で寝かせたウイスキーは甘くないのですが、シェリーが作られていた樽で熟成したウイスキーは甘みがあります。どちらを飲んでみたいですか?」といったことを伝えて、相手に選択肢を与える。たとえ詳しくなくても簡単にオーダーができ、ついでに客の好みの味も知れるような、気づきのある会話を心がけている。

 

学生時代に意図せず安酒を飲んでしまい、ウイスキーに悪いイメージをもつ人は少なくない。おいしいお酒、悪酔いしないお酒、現地物のお酒に触れる機会を作り、リアルな人のつながりとSNSを活用したネットのつながりのきっかけを生み出し、自分の意志でバーに出向き、周りも誘えるようなバーのエバンジェリスト(伝道師)を育てていきたいと、熱く語る。

 

ところで、このバーにはメニューがない。メニューを出すと、そこに書かれたものからつい知っているものを選びたくなり、新しいお酒と出会う機会を逸してしまう。せっかくバーに来たのであれば、いつも家や他のお店で飲んでいるものではないもの、非日常を楽しんでもらいたいと、会話を通じてお酒を注文してもらえるようにメニューを置いていないのだ。

銀座バー アイラ島店内の写真

「知る人ぞ知る」ではなく、日常にある身近な非日常の場として

ご飯と一緒に酒を飲みたいのであればレストランがあるが、バーは食事に行く場合の最初の選択肢には浮かばない。二軒目需要も減りつつあるといわれるなか、お酒が中心のバーになぜ来るのか。利用客向けの再定義と提案が必要だろうと舘田は考えている。

 

加えて、バー業界は他の飲食店よりも集客のための情報発信が十分ではない傾向にあると、かつてぐるなびに在籍していたこともある舘田は指摘する。来店を増やすための集客活動だけではなく、バーの使い方、過ごし方を知ってもらうための情報発信がもっと必要だと考えているようだ。自ら来店してくれるお客様だけを相手にしていると、マーケットのパイが先細っていってしまうのではないか。昔のように、上司や先輩が部下や後輩を連れてくる、つまり、客が客を連れてくるという機会や自発的に訪れてくれる相手を自然に待つだけでは難しいのではないかという。

 

バーは大勢でワイワイと飲むよりも、少人数でゆっくりと過ごす場所である。会社関係の人と飲む機会が減る中では、もう少しイメージを変えていかないと、貴重なバー文化が衰退していくのではないのかという危機感を抱いている。お酒に詳しくなくても構わないし、アルコールを飲めない人でも楽しめるのがバーという非日常空間である。いまだに人気で混雑しているスタバが昼の非日常空間であるとしたら、その人たちがどうやったら夜の非日常空間であるバーに来てくれるかを考える必要がある。

 

バーに来店する客は、マスターとの会話が目的の人もいれば、連れ同士の会話をする場を求めて来る人もいる。バーには誰がいつくるかわからないハプニング性がある。狭い空間なので、隣同士たまたま耳にした会話で、話が盛り上がることもある。

 

さまざまなシチュエーションが同時進行するなかで舘田が気をつけているのは、お客様がどう過ごしたいと思っているのかを読み取り、適度かつ適切なタイミングでさりげなくサポートすることである。つまり、バーテンダーとは非日常空間のプロデューサーであり、コーディネーターでもあるのだ。

 

最近、「チルアウト」(落ち着く、癒やされる)という言葉をよく耳にするが、わざわざ山に行ってテントを張って火をたかなくても、バーという身近に点在する空間に身を置けば、非日常を体感できる機会はたくさん作ることができる。そこで心身を整えたり、普段できないコミュニケーションをとったり、偶発的な出会いが起こったりすることによって、小さなオープンイノベーションが起きることもあるのではないか。バーとは、酒を飲む場というよりも、非日常を媒介にして自分や大切な人をクリエイティブに転換してくれる、大人のアトラクションなのかもしれない。

舘田智・銀座バー アイラ島マスターの写真
舘田智・BAR アイラ島 銀座 オーナーバーテンダー